2012年12月28日金曜日

pool



















 

小学生の頃、
生まれ変わるならイルカが良いと思っていた。

2012年12月21日金曜日

お布団の話。




















 
わたしはおばあちゃんが大好きで
幼い頃は、親とではなく、おばあちゃんと
おばあちゃんのお布団で眠るのが好きだった。

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おばあちゃんは眠る前に絵本を読んでくれて
「ぷーさん」のことを「ぶーさん」と呼んだ。

一人で眠れるようになってからも
怖い夢を見ると決まって
おばあちゃんのお布団へ逃げ込んだ。
中学生になっても、それはずっと続いた。

寒い夜も決まっておばあちゃんのお布団へ潜った。
(おばあちゃんはとってもあったかいのだ。)
いつも「あんたの足は冷たい」と笑いながら
おばあちゃんはわたしの足を足で挟んで温めてくれた。

おばあちゃんのお布団は温かくて、
おばあちゃんの匂いがして、安心した。
守られている、という気がした。
 
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「いつ死ぬかわからないから遺影用に撮って」

いつからだったか、おばあちゃんは旅行へ行くたびに
そう言ってわたしに写真を頼むようになった。

この前実家に帰った時、
おばあちゃんの使っていた部屋で布団を敷いて寝た。

壁にはおばあちゃんの遺影。
わたしが中学生の時、旅行先で撮ってあげたやつだ。

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おばあちゃんは年に数回、
泣きながら起きてくることがあった。

その時は決まって「おじいちゃんの夢を見た」と言った。

10年以上前に他界していても夢に出るなんてびっくりだ。
そう思っていた。

でも、そうではなかった。
全然驚くようなことではなかった。

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わたしも、おばあちゃんと夢で会ったのだ。
他界して9年経っても、夢の中のおばあちゃんは
きちんと、わたしの知っているおばあちゃんだった。

わたしはそのことに心からほっとした。
そして会いたくなって、あの温かさが懐かしくて、
寂しくて、少しだけ泣いた。


2012年12月18日火曜日

流星群のあとで、





目覚めると、部屋には光が差し込んでいて
寒いながらも朝がやってきたことを知る。

眠っているあいだにも世界はまわっていて
わたしの知らないことが世の中にはたくさんあること、
知らないものの方が多いということを知る。

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夜中に空を見上げて
何万年も昔の儚い光をかぞえる。

欲望まみれのわたしには願い事が多過ぎて
好きな人のしあわせを思う以外は自粛。

翌朝、母親に「あなたの幸せを願った」と言われた。

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そのようにして世界はまわっている。

世界も地球も宇宙も全部まわっていて
わたしたちはその大きな流れの中にいる。

そうやってこの世界は在るのだと
寝ぼけたあたまでぼんやりと思う。


2012年9月16日日曜日

これまでのこと。




















 
去年まで住んでいた名古屋の部屋は
向かいに広い空き地があって
私はそれを眺めているのが好きだった。

そこに住んだ2年間、
空き地には何も建つことなく
変わらずに在り続けてくれたことで
それだけで救われたこともいくつもあったような気がする。

そのままで在り続ける、ということは
思ているより難しくて
日々、痛感させられる。

変わることを恐れてはいないけれど
そのまま在り続けてほしいものがたくさんあって
自分の我侭っぷりを笑ってしまう。



2012年9月12日水曜日

121/75























 
【2012年9月12日(水)天気:晴れ】


エコーと胃カメラで精密検査をした。

黒くて長い、蛇のような姿をしたものが
私の身体の中にぐいぐいと押し込まれていって

身体の痺れと嘔吐感と孤独感

体内で得体の知れないものが動いているのがわかって
おぞましくて、悲しくて、苦しかった。

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検査前に血圧を測った。
今までに見たことのないような数値だった。
私は検査を恐れている、
それは如何に虚勢を張っていても
身体は嘘をつけないのだと思った。

もう二度とこんな思いはしたくない。
検査が終わりかける頃からずっと涙を流していた。

なんでこんな思いをしなくてはならないのだろう

そう思った。

自分の心の弱さが悪いのだろう、
それでもどうしてこんな思いまでして
生きていなくてはならないのか。
身体を壊して心を殺してまで
働く意味なんてあるのだろうか。

検査が終わってからしばらくは
回復室でずっとそんなことを考えていた。

胃カメラ如きで、と笑う人もいるだろう。
自己管理が甘いからだと言う人もいるだろう。

それでも私は怖かったし苦しかった。
がんばったね、と頭をなでてくれる人が
そばにいてほしいと思った。
安心が欲しいと思った。

親元を離れ 一人で生きるということは
大人になり人に甘えられないということは
想像していたよりも遥かに難しいことだった。

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今はまだ思い出のようには書けない。
思い出すだけで涙が止まらなくなる。
それでもいつか、
今日のことが笑い話になるように。


2012年8月6日月曜日

日々のこと。





















 
ひさしぶりに帰った地元は
いつもどおりおだやかで、
わたしもいつだっておだやかでいたいと
そう思いました。

おだやかにかまえ
人に優しくありたい。

本当はいつも
そう思っているんだよ。



2012年8月1日水曜日

2012年5月16日水曜日

Strawberry Blue.










 
イチゴハアオイ

そう歌う君の音を思い出した

雨が降ったら
明日
月の裏側で逢いましょう



2012年5月14日月曜日

ラストワルツ











 
もう逢えなくなったとして、顔と声、
どちらの方が長く覚えていられるんだろうって
そんな台詞があった気がするけれど

私は、最後まで覚えているのは
匂いや体温、癖、話し方、
そういうもののような
そんな気がしている。


2012年4月24日火曜日

涙を読む人。






















 
初めて、涙のカタチを見た。

全部同じ「涙」。
だけど、どれもみんな違った。

顕微鏡で覗き込むそれは、
私が思い描いていたようなものではなかった。
美しい、まるで雪の結晶のようなカタチ。


ここで言葉にしてもきっと伝わらないから、
観に行ってほしい。

「Gerda Steiner & Jorg Lenzligner  
 Power Sources ー力が生まれるところ」
 (http://arttowermito.or.jp/gallery/gallery02.html?id=115

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今日は少し、つらつらと言葉を並べたい気分。

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茨城県水戸市まで 2時間と少し。
片道2050円。

今ある唯一の休み、日曜日を寝て過ごすのは勿体無くて、
同居人を誘って日帰り旅行。
北千住から電車1本で水戸に行けると知ったときは驚いた。

今住んでいる町はおだやかで、都会という言葉とは
かけ離れているように感じるのに、
交通の便の良さと朝の通勤ラッシュは都会そのもの。

おしくらまんじゅうな電車と、狭い世界の人間関係。
ストレス性胃炎なんて初めてなった。

毎晩猫と戯れながら帰る夜道。

朝の景色。

育つ柿の葉。

隣の席では同居人がうつらうつらと夢の中。
わたしはずっと考え事。

菜の花畑。

茶色の田んぼ。


納豆を買って帰ろうって言って笑った君。
同居人は可愛らしい人なのだ。
彼女の存在には感謝してもしきれないくらい。
思いやりのある、笑顔の眩しい人。

駅のお土産屋さんで買った、藁に包まれた納豆は
ダイニングキッチンの冷蔵庫で眠っている。


2012年4月2日月曜日

春の嵐




 
4月から社会人になる。

初めての経験で頭がいっぱいになるだろう。
それでも、呼吸を忘れないように。
制作を続けていこう、そう決意した。
続けていくために、このブログを立ち上げた。

今日の写真は、大学2年の春に学校で撮ったもの。
この時初めて、フィルム一眼に触れた。
自分で手焼きすることの楽しさを知った。

次に朝を迎えたら、私は社会人になる。

2012年3月29日木曜日

風光る




 
今年の春はゆっくりだけれど、
あと少しで花の蕾もほころびそう。

そんなあたたかな光。

春の気配。

子供達のはしゃぐ声が聞こえる。