2013年7月21日日曜日

海の日



 

彼女が入退院を繰り返し始めたのは
いつのことだったろうか。

病院生活が続いた後、
やっと家へ帰ってきたときには
ベッドで過ごすことが多くなった。

昔は敷き布団で一緒に眠っていたけれど、
退院してしばらくしてからは
身体を起こしやすいようにとベッドが導入された。

わたしはその頃あまり家にいなかった。
高校受験を控えて、塾に通う毎日だった。
勉強しかしていなかった。
睡眠時間はどんどん減って、親に心配された。

それ以外に彼女という事実から
目を背ける方法を知らなかったし、
直視する勇気がなかった。
知りたくなかったという方が、正しい。

高校に入学してからは毎日部室に入り浸った。
病院に行くことは恐怖でしかなかった。
衰弱していく彼女を見ることは
心臓を締め付けるように苦しいことだった。

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そうこうしているうちに高1の春は過ぎ、夏が来た。

海の日。

元気な彼女に会った最後はいつだったか。
全然覚えていない。
最後に交わした会話の内容も。

彼女の最後を看取ることは許されなかった。
子供達には酷だと家に帰された。
信号待ちをしている車の中で、
彼女が亡くなったことを知らされた。

お葬式では泣けなかった。

死んだ、という事実を受け入れられなかった。
骨になった彼女を壷に納めるときさえ
それが人間だったものだと思えなかった。
彼女であったものだと、信じられなかった。

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毎朝毎晩仏壇に線香を上げ、お経を読む声。
鍬で畑を耕す姿。
リビングには専用の座席があって、
ブラウン管テレビで野球と相撲と時代劇を見ていた。

わたしが思い出せる彼女はいつだって元気だ。

おばあちゃん。

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大好きだったのに、
あんなに大好きだったのに、
思い出せる顔や声、姿はどんどん減ってきて
思い出す日もどんどん減ってきて
そんな自分にうんざりする。

もしも天国があったなら
いつか再会することは出来るだろうか。
おじいちゃんには会えただろうか。

どうか、安らかに。
また会える日まで。