蚤の市で出会った古書に描かれていた月面図
月の海や穴、ひとつひとつに名前があることを知った。
月には人間の探究心、欲望、夢、
そういうものがたくさん詰まっている。
1969年7月20日、アポロ11号以来
何故人は月面に降り立たずいるのだろうか?
月の裏側と呼ばれるところには何があるのだろうか?
それが人の想像力を刺激する。
未知なる世界への妄想、想像、空想、、
人に夢を与える職業をアーティストと呼ぶならば
人の夢を形にする職業をアーティストと呼ぶならば
ジョン・F・ケネディやアームストロング船長もまた、
アーティストと呼べるのかもしれない。
などと考えてしまうような夜。
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「うさぎスマッシュ」を観に行ってからというもの、
「人と夢」ということを考える日が多くなった。
Sputniko! - The Moonwalk Machine - Selena's Step
スプツニ子! 「ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩」
東京都現代美術館
うさぎスマッシュ展 世界に触れる方法(デザイン)
会期:2013年10月3日(木)― 2014年1月19日(日)
いのちといのちが ぶつかる音を聴いたの
(原田郁子「青い闇をまっさかさまにおちてゆく流れ星を知っている」)
彼女が入退院を繰り返し始めたのは
いつのことだったろうか。
病院生活が続いた後、
やっと家へ帰ってきたときには
ベッドで過ごすことが多くなった。
昔は敷き布団で一緒に眠っていたけれど、
退院してしばらくしてからは
身体を起こしやすいようにとベッドが導入された。
わたしはその頃あまり家にいなかった。
高校受験を控えて、塾に通う毎日だった。
勉強しかしていなかった。
睡眠時間はどんどん減って、親に心配された。
それ以外に彼女という事実から
目を背ける方法を知らなかったし、
直視する勇気がなかった。
知りたくなかったという方が、正しい。
高校に入学してからは毎日部室に入り浸った。
病院に行くことは恐怖でしかなかった。
衰弱していく彼女を見ることは
心臓を締め付けるように苦しいことだった。
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そうこうしているうちに高1の春は過ぎ、夏が来た。
海の日。
元気な彼女に会った最後はいつだったか。
全然覚えていない。
最後に交わした会話の内容も。
彼女の最後を看取ることは許されなかった。
子供達には酷だと家に帰された。
信号待ちをしている車の中で、
彼女が亡くなったことを知らされた。
お葬式では泣けなかった。
死んだ、という事実を受け入れられなかった。
骨になった彼女を壷に納めるときさえ
それが人間だったものだと思えなかった。
彼女であったものだと、信じられなかった。
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毎朝毎晩仏壇に線香を上げ、お経を読む声。
鍬で畑を耕す姿。
リビングには専用の座席があって、
ブラウン管テレビで野球と相撲と時代劇を見ていた。
わたしが思い出せる彼女はいつだって元気だ。
おばあちゃん。
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大好きだったのに、
あんなに大好きだったのに、
思い出せる顔や声、姿はどんどん減ってきて
思い出す日もどんどん減ってきて
そんな自分にうんざりする。
もしも天国があったなら
いつか再会することは出来るだろうか。
おじいちゃんには会えただろうか。
どうか、安らかに。
また会える日まで。